大人になって歳を重ねると、「もっと頑張れ」「今すぐこれをしろ」「もっとこうしろ」といった言葉を、人から言われる機会がだんだん減ってくる気がします。職場でもそうですし、家庭でも同じ。よく言えばうまく自分でやっている、悪く言えば自分の限界を超えない。そんな感覚です。

子供には言うのに、自分には甘い

その一方で、子供にはついつい言ってしまうんですよね。

勉強しろ、スマホはそろそろやめなさい、ゲームをやめなさい——。

でも子供が寝たあとに、自分はスマホを見てくつろいだりすることってあるんですよね(笑)。

気づけば、息が切れない毎日になっていた

学生のころは、運動で人と競ったり、限界まで頑張ったりする経験が日常の中にありました。どんなレベルで競技をやっていたにせよ、心身ともに追い込まれる時間がどこかしらにあったと思います。

いまその役割は、親として子供を応援する側に回っていて、「もっと頑張れる!」と声をかけたり、ちょっとハラハラしながら見守ったり。それはそれで楽しい時間なのですが、自分自身が心肺的に追い込まれる場面は、気づくとほとんどなくなっていました。

大人になってもスポーツを続けていれば、そういうタイミングが多少はあるのかもしれません。でも学生時代のように、息も上がるほど自分を追い込むことは、本当に稀になっていました。

半年前、アパートのジムで走り始めた

そんなこんなで、「やっぱり体力をつけないと」「自分はどこまで伸ばせるんだろう」という思いがじわじわ湧いてきて、半年ほど前からアパートのジムでランニングを始めました。

最初は週に1回。最近は週に2回。ChatGPTと相談しながら、「最大酸素摂取量(VO2 max)を上げるためのトレーニング」なんてものに挑戦しています。できたことを報告すると褒めてくれて次のメニューを提案してくれるんですよね(笑)。

「できる、まだできる」

いつもメニューの終盤に近づくと、結構きつくなってきます。今日は昼間結構疲れているしな、とか、昨日忙しくて寝るのが遅かったしな、とか、ちょっとした「言い訳」が心に浮かぶんです。今日は少し設定を下げようかな、少し短めで切り上げようかな——そんな声が、ふと頭をよぎります。

その時にふと思い出すのが、子供にいつも「あれをやれ」「これをやれ」と言っている自分の場面なんです。同じ言葉を、今度は自分に向ける。

できる、まだできる、もう少し——。

そう自分に言い聞かせながらやり終えたときの爽快感は、他のどこからも得られない、独特の気持ちよさがあります。さらに、回を重ねるごとに記録が少しずつ伸びていく。その喜びがまた、次のトレーニングに足を運ばせてくれます。


ジムで走るって、意外と良かった

昔は「ジムで走るなんてつまらないし、そこで体力を使うくらいなら他のことに温存したい」「やるなら外でほかのスポーツをした方が楽しい」と思っていました。

でも逆に、ジムで走ってみて気づいたことがあります。

気温や天気に左右されず、自分の意思だけで継続できる。環境が常に一定だから、自分の体調や成長ぶりが客観的に分かる。タイムや距離という数字の形で、「先週より少し伸びた」という小さな手応えが見える。これが思いのほか、続けるエネルギーになるんですよね。

これも年齢へのささやかな抵抗

結局のところ、これも全ては年齢を重ねて少しずつ体力が落ちていくことへの、ささやかな抵抗なのかもしれません。

それでも——いや、だからこそ——続けていきたいなと思っています。誰かの期待にこたえる、というわけではなくて、自分で頑張れた、と言える場所をひとつ持っておくのは悪くない気がしています。

← リベラルアーツ大学 一覧に戻る 次の記事 →