AIは本当に便利です。もはやAIなしの生活は考えられない、と感じています。今まで「自分にはできない」と諦めていたことが、AIのおかげで現実になる——このサイト「アメリカのたまご」もまさにその典型例で、以前ブログを作ろうとして挫折した経験があります。HTMLもCSSもわからない、デザインのセンスもない。そんな自分でも、AIと対話しながら進めていくうちに、気がついたらこのサイトができあがっていました。
新しいテクノロジーへの警戒、いつも繰り返す
新しいテクノロジーが登場するたびに、いつも同じことが起きる気がします。利便性への期待と同時に、デメリットや危険性への警戒の声が湧き出てくる。
インターネットが普及し始めたころ、学校の調べものをGoogle検索で済ませることは「よくないこと」とされていた記憶があります。自分で図書館へ行って本を調べることに意味がある、と。でも今ではGoogle検索すら不要になりつつあって、AIに聞けば必要な情報をひとまとめにして答えてくれます。
あのとき心配されていたことの一部は現実になったかもしれないし、一部は杞憂だったかもしれません。AIについても、時間が経てば似たようなことが言えるのだと思います。
人間ってなんだろう
そうこうしているうちに、ふと「人間ってなんだろう」と思うことがあります。
AIは文章を書き、絵を描き、音楽を作る。診断を下し、コードを書き、複雑な計画を立てる。では、人間にしかできないこととは何だろう——そういう問いが頭をよぎる瞬間があります。答えはまだ出ていないし、出るかどうかもわかりません。でも考え続けていると、ひとつのことに行き着きます。
たどり着いた、ひとつの答え
AIを使えば、旅行の写真も実際に行かずに作れます。プロが撮ったような美しい構図で、むしろ実際に行くよりきれいな「写真」ができあがるかもしれません。でもそれは、自分の人生に刻まれた記憶にはならない。
実際にその場所に立って、空気を吸って、予想外のことに驚いて、疲れて、それでも「来てよかった」と思う——そういう体験の積み重ねが、人間としての深みになっていく気がします。AIで生産性を上げることは大切ですし、自分もそうしています。でも最終的に人生に満足できるかどうかは、どれだけ効率よく生きたかよりも、どれだけ「体験」してきたかによるんじゃないかな、と思います。
小さな体験でいい
大きな旅行や特別なイベントだけが「体験」じゃないと思います。
自宅の周りを散歩しているだけでも、日々いろんな発見があります。見慣れた道に見慣れない花が咲いていたり、いつもと違う光の角度で木が輝いていたり。本当に小さなことなのですが、AIで生成されたものには宿らない何かがある。うまく言葉にできないけれど、なんとなく心が満たされる感覚です。
AIと上手に付き合いながら、でも体験することはさぼらない。小さな体験の積み重ねが自分を作っていく——今のところ、それが自分なりのひとつの答えです。